22Dec
プロフィール その3からの続きです。
▼1浪生活が終わり、4月から大学生活がスタート
一応、私は浪人生活にピリオドをうったが、彼女は諦めきれず3浪目に突入していた。
電話がかかってきたのは、1997年の4月末。
私は1浪し、上智には合格できず滑り止めで受けた大学での生活がスタートして1ヶ月が経とうとしていた時だった。
電話
友達)元気?久しぶり!大学どう??
めうみ)久しぶり。元気だけど、正直、学校はつまんないよ。物足りないというか、なんか大学にカラーがなく、みんな元気ない感じ・・・。まぁ一言で言うと自分には合わないね(笑)。
友達)そっかぁ。ねぇ、一緒にもう一回、上智、チャレンジしてみない??
めうみ)えっ?マジで??もう一回? うーん、もうあんなに辛い浪人生活はなぁ・・・。孤独だったし。
友達)私たち今回不合格だったのは、ほんとに後一歩というところだったでしょ。それでね、最後の追い上げをしてくれる塾を見つけたの。一緒に行って、最後頑張ってみない?
めうみ)うーん、どうしようかなぁ。
迷っている私に彼女が話を続ける。
その友達は、すでにその塾に通っていて、先日のTOEFLをうけ、なんと、スコアが少し上がり、手応えがあったとのこと!!
この話を聞いて、チョット闘争心がわき(^_^;)
彼女に負けたくないと思ってしまったのだ^^;
今ココでせっかくいい情報を聞いたのにスルーしてしまい、
もし彼女だけ合格したら絶対後悔するだろうと
私も、もう一回頑張ってみようか・・・と思ってしまったのである。
(つくづく私も単純で負けず嫌いである^^;)
さらに、改めてもう1回頑張ろうと思ったのは、私の行きたい学部は帰国子女が多いところなので、
欧米の学校の入学時期に合わせており、秋入学ができるということであった。
だから、次の受験をした場合、夏前に結果が出る。
つまり、また1年浪人するのではなく、2ヶ月後の6月の試験まで死に物狂いで勉強するので、
本当に最後の追い込み。
たった2ヶ月だけ頑張ればいい・・・。
これならなんとか最後の力を振り絞ってチャレンジできるかなと思った。
2ヶ月死ぬ気で追い込み、それでダメだったら本当に縁がなかったということで諦めようと。
ということで、心機一転、彼女と一緒に頑張ることを決意したのである。
1997年4月末のことである。
試験まで残された時間は2ヶ月だけ・・・。
▼仮面浪人生活スタート
早速彼女が通っている塾に行くことになった。
私は、現在の大学に籍を置きながら、仮面浪人という形を5月からとったのである。
そして、今でも思い出すと目頭が熱くなるのだが、両親には本当に頭が上がらない。
今まで散々、教育費用をかけてもらってきて、満足に結果を出していない。
にも関わらず、絶対に受かる保証もないのに、また再チャレンジするため塾に通う。
普通なら反対し費用も出してくれないだろう。
それが私の両親は何も言わずに塾の費用を出してくれた。
これを本当に最後にしたい。
塾に通って必死で勉強するからお願いしますと言ったら、
父は分かったと言いい、塾の費用を工面してくれたのだ。
英語の塾なのではっきり言って、安くはない。
でも父は文句を言わずに出してくれた。
今回だけではない。
中学の時の合宿
高校留学
浪人時代
そして今回・・・
毎回かなりの額がかかっている(;_;)
留学なんて年間100万円以上だ。
いつか必ず恩返しをしなければならない。そう心に誓った。
かなりの決意のもとで挑んだのは人生で初めてだったかもしれない。
つづく・・・。
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