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親子で人生を楽しむ為の海外移住ガイド

【MY STORY9】新天地の試練 リライトby植田みかり

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STORY9 新天地の試練

 

未成年の海外留学にとって最も重要なことは、どんなホストファミリーと出会えるか?なのです。

 

そこは生活の場であり、人間関係構築の場であり、何より、相手家族は、その国の習慣を教えてくれる、一番身近な外国人なのだから。

 

ホストファミリーがダメダメだと、一年間の留学は悲惨なものになってしまいます(T_T)

 

正直、ドキドキです!!

だけど私だけ、出発時にホストファミリーが決まっていなかったのです(T_T)

これは、大事件です。不安で胸が潰れそうでした。

 

初めての異国、初めて親と離れる生活、それなのに、滞在場所が決まっていないなんて…。

一体どんな家にお世話になるのか、想像すらできません。

ようやく決まったのは、何とアメリカ到着後で、不安から自信を失いかけていた私に、やっと光りが差した瞬間でした。

 

実は、留学と言うと聞こえはいいけれど、結構な割合でトラブルに巻き込まれているという話を聞いていて、内心震えていました。

 

国によっては、毎日シャワーを浴びてはいけないとか。

しかも、シャワー時間は5分までとか、日本では信じられないようなルールがあったり、謎の食事が出て来たり、色々な制約があることもしばしば。

 

私は、最後にホストファミリーが決まったけれど、早々と決まって、意気揚々と暮らし始めても、家を追い出された子もいたし、チェンジさせられた子もいたりして。ほんとに、十人十色、色々あったのです。

 

昔の人はいいことをおしゃいますね!

「残り物には福がある!」

まさに、その通りでした!おかげ様で私は、本当に人間関係に恵まれて、超がつくほど順風満帆の留学生活でしたから!

 

しかも、私にはホストシスター(妹)も出来たのです。

私より4歳年下の12歳の少女は、読書が大好きで、語彙が豊富だったから、何と2年も飛び級していました。優秀ですよね!

そして、私にたくさんの言葉を教えてくれました。本当に、感謝しています。

 

ホストマザーもホストファーザーも良い人たちで、アメリカのパパとママそのもの。

私は、娘のように可愛がってもらって、忘れられない素晴らしい日々を過ごしました。何と、今でも連絡を取っているんですよ!

 

ちょっと残念なことに、このファミリーは、今、バラバラになっちゃったみたい(涙)仲の良い夫婦だったのに…。

離婚はしていないけれど、今はもう一緒にいないと。

 

それだけじゃないんです。

何と娘がレズビアンで、それをカミングアウトしたら、母娘が断絶してしまったと。悲しいことです…。

 

さて、アメリカでの留学生活にお話は移りますね!

 

正直、英語は得意だったので、結構自信があったんです。余裕でやって行けるとまでは思わなくても、問題なく暮らせるだろうと。

 

ところが、ネックになったのが、発音でした。

「ショック!!!全く通じない。え~、ウソでしょ?」

しかも、こちらの言葉が通じないだけじゃなくて、相手が何を言っているのかも、さっぱりわからず。

 

落ち込みまくった数か月…。

 

今も忘れられない…、学校の初日に勇気を出してしゃべった言葉。

「May I use my dictionary?」

~辞書を使ってもいいですか?

 

 沈黙です。返事がありません。

…え?マジですか?全く通じません。完全に意気消沈(涙)

 

周囲は、私のことを、どんな目で見ていたのでしょう。

ある時、

「この子、英語出来ないから」

と、面と向かって悪口を言われたり。きっと馬鹿にされていたんだろうなあと思います。

 

だけど、残念でした(^^)v

数か月たつと、理解出来てしまうのです。英語って本当に慣れだと思います。

 

もし今、言葉がしゃべれないからと、留学を躊躇している方がいらっしゃったら、私が太鼓判を押します!

絶対に耳が慣れて来たら、理解出来ますからね。大丈夫ですから!ただし、こちらから積極的にしゃべりかけてみて下さいね!

英語はコミュニケーションツールだもの。

 

留学中には、他にも傷ついたことがありました。それは、スロバキアからの留学生を家に招待した時の事です。

 

その子はアメリカに来たばかりなのに、とても流暢に英語をしゃべる子で、

「あら~、あなた、凄いわね!まだ来たばかりなのに、こんなに上手におしゃべりできるなんて!」

と、ホストファミリーも驚いていました。

 

 ショックでした。

悪気が無いのはわかっているんです。だけど、比べられた気がして。英語の才能が無いと思われている気がして。

 

丁度そのころ、ある程度英語が理解できるようになってはいたけれど、そこからの一歩が踏み出せず、落ち込んだり悩んだり、しんどい時期でもあったんです。

だから、余計に心が滅入ってしまったのかもしれません。

 

「早く、英語をしゃべれるようになりたい。英語で物事を考え、英語で伝えたい。とにかく一日でも早く!」

 

そこはアメリカ。

誰でも英語で会話するのです。当たり前ですけれど。

幼児だって英語をしゃべります。だけど、私はまだまだ日常会話程度。本当に悔しい。

実は、今からは想像できないかもしれませんが、私は当時、とっても大人しい少女だったんですよ!

 

だけど、日本のように、語らずとも周囲が理解してくれるなんてこと、絶対にあり得ません。自己主張をしないと潰れて行く国。それがアメリカでした。

 

「私は、ここよ!ここにいるのよ!」

そうアピールしないと、誰も心を留めてくれません。

 

16歳の花岡めうみは、考えました。一体、どうしたら英語が上手くなれるのか。

 

実は、私には渡米前にアドバイスをくれた、母校の先輩の大学生たちがいました。

その方たちも、交換留学の経験がある方々で、

私は積極的に会いに行き、ホストファミリーとの付き合い方や、帰国後の生活など、色々教えて頂いてから、旅立ったのです。

 

その体験談をもとに、私なりに、留学を成功させる方法4か条が出来ました。

皆さんにも、お教えしますね!

 

まず、これが一番大事で、案外難しい事。

それは、「日本人同士で固まらない」ってこと。

良くあるパターンですね。せっかく外国に行っても、不安感から日本人だけでつるんでしまうこと。

これは、もったいないです。帰国したら、幾らでも日本人とつるんで、日本語をしゃべることが出来るんですもの。

 

次に、英語環境にどっぷり浸かること」

寝ても覚めても「英語、英語、英語」の状態に、自分を追い込むことです。

逃げちゃダメです。

 

そして、これは私の人生訓でもありますが、

「時間には限りがあるから、今、この時間を大切にする」と言うことです。

つまり、精一杯英語を体験し、その背景にある文化を学ぶのです。

 

留学生としての期間は10カ月と定められていましたから、思いっきり空気を吸い込むように、英語をお腹の中に貯め込みました。

引っ込み思案だった私にとっては、最後が一番大変ですが、

「積極的にイベントに参加すること」が、

実はとても有効だったのです。

 

机上の空論だけでは、生きた英語は身に着きません。

どんどん、どんどん、前に出て、積極的な自分を演出していかないと、ただ食べて寝るだけの10か月になってしまいます。

 

きっと私は、自分が変わるきっかけを探していたんだと思います。

もしも、あの時アメリカに出て行っていなかったら、今も、自分の意見を胸にしまい込む、大人しいままの女性だったような気がします。

 

もちろん、ジョホールバル移住なんて、思いつきもしなかったでしょう。

 

留学した方から良く聞くことですが、

「1年英語圏にいれば、字幕スーパー無しで映画が見られるよ」

って。

 

正に、その通りになりましたよ!

「辞書を使ってもいいですか?」

という言葉さえ通じなかったのに、最後の方は英語で夢を見られるまでに成長していました。

 

もちろん、ホームシックになったし、自信喪失することも何度もありました。

だけど、大丈夫!語学は、頑張った分だけ見に付くのです!

 

実は、アメリカに旅立った日は、1994年7月28日で、奇しくも2012年に、ジョホールバルに着いた日と同じでした。

 

これは、母が教えてくれたことです。私は気づきませんでした。

人生の不思議なめぐり合わせを感じました。そう。運命って、続いて行くんです。

頑張る人を、背中らそっと押してくれるんです。

 

私が帰国したのは、高3の6月中旬でした。

受験経験のある方にはお分かりだと思いますが、受験生の天王山は夏休みだと言われています。つまり、その直前に帰ってきたわけです。

 

これって、物凄くリスキーなことですよね。

だって、丸々1年間日本の高校の勉強から離れていたのに、いきなりトップスピードに持って行かないといけないんですから。

 

確かに、英語はしゃべれるようになっていましたが、コミュニケーションとしての英語と、お勉強の英語は別物なのです。

 

そのことを痛いほど思い知らされたのは、帰国後すぐに受験したTOEFLでした。ワクワクしながら高得点を確信して受けたのに、何と450点。

 

ええ~ウソでしょう?(涙)

1995年当時、私が希望していた大学の最低ラインは、550点。残念!遥か及ばず。

 

またまた、私の前に大きな壁が顕れたわけです。

さあ、どうする!めうみ!ここを突破しないと、希望の大学に行けないじゃないの。また失敗して落ち込むの?それとも頑張るの?

 

ここから大学までの道のりは、色々な事件のオンパレードです。

新しい苦難の旅路が始まりました。さあ、私はどうやって限界突破をしていくのでしょうか?

 

続きは、THIRD STAGEに綴って行きますね!

 

是非、是非、引き続きお読み下さいね!

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→ http://bit.ly/2B5IpwY

海外留学を実現し、経済的自由も獲得するまでの道


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