8Jan
STORY8 旅立ちまでの日々
私は、とにかく、
「もう、絶対に失敗はしたくない」
という気持ちがとても強く、高1から大手予備校に通っていました。
何と「東大早慶クラス」のメンバーだったんですよ!そう!つまり特進コースです。
もし、私が高校の担任でも、手放したくないと思ったかも…。
だって、当時、まだまだ高校生が海外留学だなんて、本当に珍しい時代だったのです。
先鋭的な理事長が教育改革を進める母校でさえ、300名の生徒に対して、留学生はわずか10人ほどでした。
つまり3%位しかいないんですね。
しかも、私は、それまで一度も海外の地を踏んだことはなく、何と留学が初外国だったのです。
今は、幼いころから海外旅行慣れしたキッズも多いでしょう。
だけど、いきなりの海外が、ひとりぼっちで、長期滞在で、しかも現地の学校に通うのですから、大冒険と言っても過言ではないのです。
母は、良く送り出してくれたと思います。
私にも娘が2人おりますが、16歳で手元を離せるかな?と思うと、流石に寂しいという気持ちと、心配という気持ちで少し考えてしまいます。
必死で勉強して受験した第一志望を落ちたこと。その心の傷は、今でも完全に消えたとは言えません。
ですが、この体験こそが、私の人生に大切な哲学を教えてくれたのです。
苦難が私を本気にしてくれました。
奮起したし、努力もしたし、このままでは終われないという気持ちも芽生え、どうしても希望する大学に進みたいと願うようになっていたからです。
人生に偶然はないといいますが、この時の困難に立ち向かう体験が、その後の人生に大きくかかわって来るのですから、本当に不思議です。
だって、誰もが目指すハワイとか、アメリカ本土、オーストラリアなどではなく、
マレーシアのジョホールバルという地を、母子留学の地に選ぶことに繋がって行くのですから。
その後も、一生懸命担任は引きとめてくれたけれど、私の意思は固まっていました。
既に留学エージェントに留学試験を申し込んでいたので、早速受けて合格!ジャジャーン。凄いでしょう!と言いたいのですが、形だけの留学試験だったので、受かって当然だったんです(^_^;)
高1で試験を受けたので、実際の留学は高2の夏休みからということに、決定しました。
本来ならば、夢と希望を抱いて海外留学の切符を手に入れるものなのでしょうけれど、私の場合は、学校が嫌だったからそこから逃げるように決めた留学。
皆さんは、私が意気盛んに出発の日を迎えたと思うでしょう?
残念ながら、そうでもなかったのです。
というのも、出発まで時間が空いてしまったせいで、あんなに嫌いだった学校に慣れちゃったんです。ちょっと楽しくなっちゃったんです^^;
だけどもう、後戻りは出来ません。親にも心配を掛けました。前進あるのみでした!今でも親には感謝の思いで一杯です。
そして、遂にその日がやって来ました。
花岡めうみ。16歳。10か月の留学のために、成田空港から、アメリカへとフライトです!!!
この10か月という期間が、
私と言う人間の土台を作ったと言っても過言ではありません。
期待と不安が混在する、複雑な気持ちを抱えたまま、飛行機は空へとtakeoff!
機内では、親友からもらった手紙を読んで、号泣してしまいました。
「離れるのは寂しいけれど頑張ってね」
そう書かれてありました。
何て温かい言葉。一生忘れない!
アメリカに着いてからも、頻繁に文通していたっけ…。
懐かしいなあ。
あんなに嫌いだった高校には、こんな素敵な出会いもあったんだから、人生は捨てたもんじゃない。本当にそう思います。
私の人生、大雨と、晴天と、突風と、満天の星々と…。そんな風に目まぐるしく動いて行く人生なのかもしれませんね。
途中経過がどんなに辛くても、雨で心がびしょ濡れになっても、頑張っていれば最後には美しい日が差してくれる。そう信じて今も生きています。
さあ、新天地アメリカは、私にどんな試練と幸福を与えてくれるのかな?
私のことを良くご存知の読者の皆様でしたら、
「また、何かあるんじゃないの?」
「めうみさん、事件に気を付けて!」
なんて、ご心配頂いているかも。
ピンポーン!大当たりです。
アメリカでも、色々ありました。てんこ盛りでした。
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