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親子で人生を楽しむ為の海外移住ガイド

めうみプロフィール その6

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プロフィール その5からの続きです。

晴れて、中学からずっと行きたかった大学に入学した私。

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今からもう20年以上も前の話^^;

余談だが、

上智に行きたいと思ったきっかけは、
なんと、恥ずかしながら、
【西田ひかる】
同じ世代くらいの方ならご存知かも知れないが、彼女の出身大学は上智大学。
ドラマの影響で中学の頃、大好きだったのだ。

めうみ)「彼女と同じ大学に行きたい!」

と思ったのが一番最初のきっかけなのだ(*^_^*)
どんだけ単純なんだか^^;

さて話を戻そう。

私が入学した上智大学比較文化学部(現在 国際教養学部)

この学部は、アメリカの大学のシステムなので、秋入学というのも受け入れていた。

10月が入学となる。

この時期は海外からの帰国生や留学生が多かった。

初対面での挨拶の第一声が、
学生)「ドコから来たの?」

これは、
高校がどこ(場所)かを聞いているのである。

例えば、
アメリカならアメリカのどこの州という意味だ^^;
私は、思いっきり日本の高校(東京)からなんだけど、
周りはほぼ海外の学校から。
まずこれにカルチャーショック^^;

彼ら、見た目は思いっきり日本人だが、
英語はもちろん堪能、
さらに、お金持ちで
感覚も国際感覚豊かな人たちばかり。
しかもそれを全然、自慢してこない。
嫌味がないのだ。

人間的にもできている子が多かった。

生徒の内訳は、

海外駐在などご両親のお仕事の関係で海外に住んでいた子
日本のインターナショナルスクール(だいたい東京か神戸が多かった)出身の子
私費留学で3年〜6年ほど海外に単身留学していた子
私のような1年の交換留学
そして、
純ジャパといって、
全く海外経験がない子
大きく分けるとこんな感じだった。

断然多いのが、
海外駐在で18歳までほぼ海外で暮らしていた子。

純ジャパは本当に数名、

私のような1年くらいの留学もわずか。

つまり、いわゆる帰国子女がほとんど。

この頃はさすがに
「母子留学」という生徒は、いなかった。

 

▼入学当初の夢

入学前は、憧れの大学にも受かったからと調子に乗り、

通訳にでもなろうかしらなんて夢見ていたのだが、

いざ入学してみると
周りは、英語ができて当たり前。
それもかなり流暢に。

上には上がいると痛感した。

 

▼学校生活スタート

学校では、
私は、海外帰国組の子たちと仲良くなった。
特に仲良くなった子は、駐在で海外に行っていた子たちだった。

彼女たちは、父親の仕事関係で、海外暮らしを経験していた。
幼稚園くらいの時、一度海外で暮らし、
その後いったん、小学校で日本に戻り
また中学や高校で海外で暮らし
その後日本の大学に来たというパターン。

 

駐在員としての海外勤務だからか
日本人としての感覚も持ち合わせ、
海外の暮らしも長いためか、
非常にバランスのとれている友達が多かった。

 

この頃からなんとなく
小さい頃に実際に海外で生活すると
まずは英語の発音が全然違って、色々な価値観を受け入れる力があり、
視野が広がり性格も違ってくる

のだなぁと思うようになったのである。

つまり環境で全然変わってくるということだ。

これが後に私の子どもの教育に関する考えに
大きな影響を与えることになるとは
この時は思いもよらなかったが・・・。
なんとなく

幼少期に海外で暮らすのは、いい

のだなと感じていたのだ。

浪人時代や、入学前は、もっと海外で勉強したいと思って、
大学在学中に留学をしようと考えていた。

しかし、この学部だと、
すべての授業は英語(日本語のクラス以外)、
生徒も外国人やミックスの子も結構いて、先生ももちろん外国人だから
日本にいながら英語も使えるので、
英語力もキープできて、というか、授業が英語だったので、
私にとってはかなりハードで、むしろ英語力は、アメリカ留学の時よりもあがった。

まるで海外に住んでいるような環境だったので、

自然に国際感覚を身につけることができたので、

この環境に満足し、留学は考えなくなっていったのである。

アメリカに1年住んだことで、

日本の良さを改めて感じ、
日本が大好きになり、
日本の素晴らしさをかみしめていたので、
日本にいながら海外も経験できる
この大学生活に居心地が良くなり、
もう留学は考えなくなっていったといったほうが
正しいかもしれない。

1年しか海外に住んでいないが、
日本の素晴らしさ・・・、
治安をはじめ
食事、サービス、クオリティーの高さ
どれをとっても、
改めて日本は、最高

と思っていた。

だから旅行ではよく海外に行ったが、
わざわざ留学しようと思わなくなっていった。

やっぱり日本は最高!

日本ほど

サービスがよく、商品のクオリティーがよく
痒いところに手が届くサービスをしてくれるところは、そうはない。

それは、
今ジョホールバルに1年以上住んで改めて感じている。

▼大学時代に痛感

大学時代は、
周りの友達の英語力の高さ、
国際感覚のバランスの良さに圧倒され、
自分は英語では生きていけないと
痛感した。

この頃から、将来は、

・通訳など英語だけで生きていくのではなく、英語を活かして、何かしたい

・日本の良さを海外に伝えたい

・日本と海外の架け橋になることができればいいな

と思うようになっていったのである。

でも、
実際に就職したのは、思いっきりドメスティックな某財閥系の営業会社になってしまった 😯 

外資系はもちろん受けていたのだが、
私の英語力ではバリバリに英語を使う部署は通用せず・・・、
自信がなく、事務系の仕事内容で外資系を受けていた。
でも、外資系だから、まわりは英語を流暢に使える帰国子女ばかり。

大学で、この子たちにはかなわないと思っていたので、同じフィールドで戦うのをやめた。

あえて英語が出来る人がほとんどいない企業を選んだのだ。

なぜなら、そこが私の英語力をかってくれたから(はい、単純です^^;)

まわりがあまりにも英語が出来ない人ばかりだったので(失礼)

私でも英語で目立つことができた。

一応、海外での事業所があったので英語力を活かして、

いつか海外勤務ができることを夢見て入社を決めた。

就職氷河期ということで、そんなドメスティックな会社でも
男性120名採用に対して、女性の採用はたったの2名。
就職活動自体はかなり大変だったが、なんとかこの2名の枠に入ることが出来た。

しかし、

この会社での海外で働くと言う夢は、あっという間に崩れ去っていった・・・。

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つづく・・・

 

海外留学を実現し、経済的自由も獲得するまでの道


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