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親子で人生を楽しむ為の海外移住ガイド

めうみプロフィール その3

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プロフィール その2からの続きです。

▼交換留学から帰国(高3夏)

アメリカの交換留学から帰国したのは、高3夏休み直前の6月中旬。

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日本は、夏休み前でこれから受験勉強真っ只中といった感じ。

私は私立に通っていたので、文系コースを留学前から選択していた。

だから授業も文系の勉強中心になる。

英語
国語
世界史

暗記物があんなに得意だったのに1年やっていないとすっかり忘れてしまい、
帰国して受けた期末テストはどの教科もぱっとしなかった^^;
英語だけは、留学したおかげで悪くはなかったが、1年ものあいだ、日本の勉強をしていなかったから、
受験英語はまた別ものなので、思ったほどできなかった。

1年留学すれば英語は全く苦労なくできると思い込んでいたので、
がっかり・・・^^;(そんなに甘くないですね)

 

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日本の受験英語はやはり特殊。
そうはうまくはいかないなあと痛感した。

TOEFL初受験

さらに、TOEFLも受けてみたが、
恥ずかしながらパッとしない(T_T)

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一番最初に受けたのは、前回は450と書いたが
よくよく思い返してみると、じつは405点だった(;_;)

TOEFLは、毎月受験可能だったので、すぐに、2回めを受験。
1回めは全く勉強無しで受験したので、
2回めは少し勉強をしてトライ。
450点・・・。

次の3回めは、
500点。

まぁこの点数くらいまでは、問題集や参考書を買ってある程度勉強をすれば、達成可能だった。
しかし、それ以上となると、当時の私の能力では難しく、なかなかクリアできなかった。
私は行きたい大学があり、そこは合格条件として、TOEFLとSATのハイスコアが必要。

特にTOEFTLは570点以上が必要だったのだ。
*1997年のカウントの仕方なので今は違います

私は570点以上クリアするまでに何回か壁にぶち当たった。

まずは、
500点から530点の壁
次は、
530点から550点の壁。

そして、
550点以上の壁。

思うように点が上がらない。

なかなか奇跡は起こらず打破するのに、基礎があまりなかった私は、かなりの時間を要した。

実は中学時代から、私は行きたい大学があった。
そこは、英語に力を入れている大学だったので英語が得意だった私は、
行けるといいなあと夢描くようになっていたのである。
その思いは、帰国後も変わらず・・・。

その大学名は、
「上智大学」

国際色豊かな、英語では有名な大学。

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特に行きたいと思っていた学部は、帰国子女で有名な早見優や西田ひかるの出身学部、
比較文化学部」に憧れていたのだ。
ここは生徒数が1学年120人と少なく、他の学部とは全く違う。

つまりアメリカの大学のように英語で授業をする学部だったので、学生は、ほとんどが帰国子女か留学生。

一般の受験とは異なっていた。

受験は、
TOEFLとSAT
小論文
学校長の推薦

アメリカの大学の入試と同じ形をとっていたのだ。

ということで、自分の能力よりはるかに上で、合格への環境は厳しいとわかっていたのだが、
それでもずっとこの大学に行きたいと思っていた。
留学しその思いはさらに強くなり、上智大学一本で行く事にしたのだ。

そのために
「上智大学比較文化学部受験対策講座」という
専門の塾に通った。

先生はネイティブの外国人。少人数制だったのもあり、かなり月謝も高かった。
TOEFL・SATの勉強に明け暮れることとなるが、
なかなかうまくいかない。

周りのライバルがどんどん目標スコアをとっていく中、私はスコアが上がらない(;_;)

結局、現役の半年間では合格できず浪人生活を送ることになるのであった。

 

▼浪人時代

この浪人生活がまたまた波瀾万丈だった。
まず、浪人という、何も肩書がない状態が私にとっては非常に辛かった。

大学生という肩書に憧れていたのかもしれない。どこにも所属していないのが嫌だったのだろう。

今は全く気にしないが、何故かその時は、嫌だったのだ。

早く、大学生になりたくて仕方なかった。

上智に入るための条件、
TOEFL・SAT
TOEFLは、毎月受けれたので、本当に毎月受けていた。

毎月受けても、そんなすぐには成果にはあがらず、
先が見えないテストを毎月受けるだけの感じだった。

今思えば受験料も毎回1万円超。
相当な親不孝者だ。

それで合格点数までクリアできればいいが、550点以上の壁が全く突破できない。

自分としては必死に勉強しているのだがやり方が悪いのかポイントがずれているのか
あるときから全然成績が伸びなくなってしまった。
友達と遊ぶこともやめ、人と一切会わず、こんなにも努力しているのに、なぜ!?

もう先が見えなくなり、何度も逃げ出したくなった。

当時の私にとっては、精神的に辛くなり、極度のストレスと疲労で、
夜中眠れなくなったり、手が震えるといった症状が出るようになってしまった・・・。

 

もう限界!

と、あるときすべてを放り出し

一人で東北の友達の家に逃げ出した。
毎日塾へ行き、自習室やマクドナルドなどで勉強をしていたが、それを放り投げ、数週間何もしないことに決めた!

毎日遊び歩いていた。

でも、遊び歩いてスッキリしたのか、冷静に考えることができた。

その時に改めて思ったのは、
このままやめてしまうとすべてが中途半端。
高校受験も満足に勉強せず

中途半端な勉強しかしてなかったので、あっさり失敗。

大学受験も中途半端な勉強で
失敗となってしまうと、
「きっと一生逃げる人生になる」
と思って、ココが踏ん張りどきだとまた新たな気持で勉強する気持ちになり東京に戻ったのである。

とにかく、今回は、結果はどうであれ、しっかりやれることはやろうと思ったのである。
この逃避旅行もいいきっかけになったので
親には迷惑かけたが、結果的には良い気分転換になった。

改めて目標に向かって頑張ろうと思う
きっかけを与えてくれたのだから。

そして、そこから改めて必死に勉強した。

しかし、1浪し、一大奮起したのに、あえなく不合格(;_;)
さすがに不合格通知が届いた時は、悔しくて涙が止まらなかった。
でももう1浪しているので、2浪という選択肢はなく、
滑り止めで受けていた埼玉県のある大学に行くことにしたのだ・・・。

▼希望じゃない大学へ入学・・・

第一希望の大学がダメだったので、滑り止めで受けた大学に通うことになった。
(これって高校時代も同じ・・)
そこは一応、外国語学部の英文科だったので、割りと国際色豊かだったのだが、
自分が行きたかった大学じゃないのと、自宅からめちゃくちゃ遠く、
モチベーションが全く上がらず・・・。

英語の授業も1年以上必死にTOEFLやSATの勉強をしてきた私にとっては、
申し訳ないがその大学の授業だと物足りなかった(失礼)!

すべてが物足りないが、仕方ない。

ココを卒業するしかないんだ腹をくくろうと思っていたあるとき、

一本の携帯電話がなった!

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一緒に浪人生活を送っていた友達からだった。

この友達の電話一本がのちの私の人生を大きく変えることになるとは、まだこの時は思いもしなかった。

つづく・・・。

*続きはプロフィール その4
【追伸】
FaceBookやっています。

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