menu

親子で人生を楽しむ為の海外移住ガイド

間違っていなかった♪(第6話)[母子留学実現への道]

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2013年に執筆したものです。

 

 

音声はこちら

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

「ええ~!?、めうみが

 アメリカとかヨーロッパじゃなくて

 アジア??」

 

 

なぜ、欧米かぶれの私が、

東南アジアを

 

『親子で海外留学先』

 

 

として選んだのか?

 

 

なぜ、アメリカ、イギリス、

スイス、カナダなどではなく、

 

さらには、アジアの中でも

 

『マレーシアジョホールバル』

 

を選択したのか?

 

 

私を根本から変えてしまった

2つのきっかけについて

お話をさせていただきます。

 

 

 

▼ハワイの壁

 

 

『親子で海外留学』

先としてのハワイは、

調べれば調べるほど

ハードルが上がっていきました。

 

 

半年ほど研究に研究を重ねましたが、

ハワイは我が家にはどうしたって

無理だということが分かり、

諦めたのです。

 

 

 

▼子どもの教育の為に・・・

 

 

しかし、

諦めたわけではありませんでした。

 

むしろ海外での生活を本気で考え始めました。

 

 

ハワイ以外にはないのか・・・と。

 

 

日本は素晴らしいけれど、

子どもが吸収力のある小さいうちに

海外に出てみたい!

 

 

そんな思いがどんどん強くなりました。

 

 

 

そんな時、

我がインターナショナル幼稚園で、

長女のクラスの担任が退職し、

新しい先生がやって来たのです。

 

 

退職した先生はアメリカ人男性。

 

新しく来た先生は・・・、

フィリピン人女性でした。

 

 

はっきり言ってこの頃の私は

大変申し訳ないのですが、

フィリピン人女性に対して

偏見を持っていました。

 

 

言葉は悪いですが、

フィリピン人女性=フィリピンパブの女性

日本人の男性を狙って

お金を根こそぎ持っていく。

(ごめんなさい)

 

そんなイメージでした。

 

 

だから、

なぜ、スクールが

フィリピン人の先生を雇ったか理解できず、

正直、不満でした。

 

 

高い授業料を払っているのに

なぜフィリピン人??

なぜ欧米人ではないの??

 

 

このような思いが

頭の中から離れませんでした。

 

 

実際、

私が日本で見たフィリピン人は、

 

フィリピンパブで働いている派手な女性。

 

 

そして、

 

 

最近、見学に行った

安いインターナショナル保育園の先生。

 

 

そこで見たフィリピン人の先生は、

子どもを放ったらかしで、

先生同士母国語ばかりで話しており、

すぐ子どもに手を上げたりと

最低最悪な人が多かったのです・・・。

 

 

このようなフィリピン人しか見たことがなかったから、

イメージが非常に悪かったのです。

 

 

ひどい先生だったら、

園長先生に直訴しに行こう。

そういう気持ちで

フィリピン人の先生を受け入れました。

 

 

 

初日に軽い会話をしてみました。

 

それが、なんと・・・、

 

 

フィリピン人のD先生、

 

 

予想に反して、

大変人当たりがよく、

笑顔の素晴らしい先生だったのです。

 

だから、

子どもたちもすぐになつきました!

 

 

しっかりと幼児教育を受けていて、

子ども受けする、

やさしく語りかけるような口調と声のトーン。

なまりのない、

聞き取りやすい英語でした。

 

 

聞くところ、

フィリピン人のほとんどは

大学まで教育を受けているそうです。

 

 

当然、D先生も。

 

 

子どもに聞いても、

先生大好き!と言うのです。

 

 

一生懸命対応してくれています。

 

 

最初だけかと思っていたのですが、

そんなことはなく、

きちんと継続して対応してくれたのです。

 

 

この先生のおかげで、

フィリピン人のイメージが

ガラッと変わりました。

 

 

 

▼留学の候補先

 

 

ハワイを諦めた後、

夫が留学の候補先として

東南アジアがいいという

情報をゲットしてきました。

 

 

場所は・・・、

フィリピンの

 

 

「セブ島」

 

 

でした。

 

 

担任のD先生のおかげで、

フィリピンのイメージが良くなりました。

 

 

2011年8月、

セブについて真剣に調査を開始しました。

 

 

D先生にセブのことを聞いたら、

 

「セブは気候がいいし、人もいい。

 安全でとても住みやすい。」

 

とのこと。

 

 

セブも留学候補先に入れようと

考えが変わっていきました。

 

 

 

そして、

もう一つ目を付けたのが、

 

「マレーシア」

 

 

マレーシアは、移住したい国No.1

で非常に住みやすいと聞きました。

 

 

全く知識がなかったので、

本を読んだり、

ネットで調べたり、

移住フェアに参加したり、

自分なりに調べて行きました。

 

 

クアラルンプール、

ペナン、

ジョホールバル、

コタキナバル。

 

これらがインターナショナルスクールのあるエリア。

この中から候補を絞っていこうと思いました。

 

 

 

 

私にとって、

 

・地震がない

 

これを大前提として色々と調べた結果、

将来の留学先は、

 

「フィリピンセブ」

「マレーシア4エリア」

 

に絞られました。

 

 

まず、

優先順位としてはセブを考えていました。

 

 

なぜならば、

 

・日本から直行便があり4~5時間と近い

・治安もよく気候がいい

・災害も非常に少ない

・物価が安い

・英語が母国語と変わらず使われている

 

 

特に物価が安く、

日本から5時間前後の距離という

ところに魅力を感じていました。

 

 

一番気になる子どものスクールは、

インターナショナルスクールと

現地有名私立校が沢山ありました。

 

学費も年間50万円くらいだから、

安いです。

 

 

ある程度、何校か候補も決め、

住むエリアも絞ったので、

後は視察の渡航をするだけだったのです。

 

 

 

 

 

しかし、

2012年1月の終わり、

 

 

今後の私たちの全てを決定づける、

 

 

・衝撃的な出会い

・貴重な情報

 

 

この2つが飛び込んで来たのです。

 

 

それが、

 

 

『久しぶりの友達との再会』

 

 

『マルボロカレッジ受験』

 

だったのです。

 

 

 

▼久しぶりの友達との再会

 

 

2012年1月末のある日・・・。

 

 

久しぶりに友達と再会しました。

 

その友達がすごくイキイキとして、

楽しそうだったのです。

 

 

毎日楽しく生活しているという

雰囲気が漂っています。

 

 

思わず聞いてみたのです。

 

「なぜそんなに楽しそうなの??」と。

 

 

 

その答えは、

 

東南アジアに

 

『親子で海外留学』

 

だったのです。

 

 

 

彼女は、

東南アジアのマレーシアに、

『親子で海外留学』

をして自分の時間を取り戻し、

好きなことを見つけ、

人生をとても楽しんでいました。

 

 

彼女自身が楽しんでいたのです。

 

 

 

(彼女はマレーシアに

 親子で海外留学しているんだ・・・。)

 

 

マレーシアは、

 

子どもの留学先として

間違ってなかったんだ・・・。

 

 

留学を真剣に考えていた時の、

友達との再会でした。

 

 

一人で運命を感じてしまいました。

 

 

 

セブやマレーシアの良さは

調べるうちに分かってきましたが、

 

 

ママ自身が人生を楽しめちゃうというのは、

まったく未知の世界だったので、

当時の私にとっては、

彼女の話は大変衝撃的でした。

 

 

子どものことだけを考えていたので、

自分自身のことは頭の中にありませんでした。

 

 

だから、

ママも子どももみんなが楽しめるということに

魅力を感じたのです。

 

 

 

▼ジョホールバル マルボロカレッジ??

 

 

マレーシアのジョホールバルを

候補としていた理由の1つが、

 

『マルボロカレッジ』

 

です。

 

 

 

 

マルボロカレッジについて少し触れておきます。

 

 

マルボロカレッジは名門校で、

イギリスに本校があり、

将来、欧米の名門大学に進学する生徒を

多く輩出しています。 

 

 

グローバルな人間形成を目指し、

豊かな想像力を養い、

多様な価値観を受け入れる場の提供をしてくれます。

 

 

そのようなスクールが

マレーシアジョホールバルに2012年8月開校をする

ということでかなり話題になっていました 。

 

 

日本にいる当時、

幼稚園ではありましたが、

4歳の長女、2歳の次女を、

インターナショナルスクールに通わせて、

英語漬けの毎日を送っていました。

 

 

普通の幼稚園だと

国や市から補助が出るのですが、

インターナショナルスクールは

一切補助がでません。

 

さらに、

授業料が高いので、

私たちサラリーマン家庭には

正直辛いものがありました。

 

 

でも、子どもたちの将来の為に、

必死で節約し、頑張りました! 

 

 

夫は毎日お弁当持参、

お小遣いゼロ、

飲み物まで持参していたのです。

お酒を飲みにもほとんど行きません。

 

 

そんなギリギリの生活を送っていた私たちにとっても、

マルボロカレッジの情報は

見過ごすことができませんでした。

 

 

我が子が・・・、

 

将来グローバルに活躍してほしいと願う親にとって、

 

マルボロカレッジ・・・、

 

なんとかして行かせたい!!

そう強く思うようになりました。

 

 

 

当初は、

長女の小学校入学時に留学出来ればいいかなって

考えていたのですが、 

 

2012年の1月の終わりに、

友達からマレーシアジョホールバルで

マルボロのオープンカレッジ(学校説明会)が

2月にあると教えてもらったのです。

 

 

さらに、

 

・2月11日の説明会以降は、次回実施未定。

 

・今回の試験で募集定員が埋まってしまったら、

 今後の追加募集はしない。

 

 

 

えっ! 

 

そうなの? 

 

追加募集しないの? 

 

 

これだと思うと私は、

本当に1つの物しか見えなくなってしまう性格。 

一日中、頭から離れなくなってしまうのです。(笑)

 

非常に焦りました・・・。

 

 

「とにかく、気になるのなら、まず動いてみよう!」

 

 

この時、とっさにそう思ったのです。 

 

 

 

いつもの私だったら現実的に、

お金かかるしなぁ、

子どもいるしなぁ、

大変だよなぁ、

 

などと先に思ってしまい、

結局堂々巡りして、

行動しないというパターンが多かったのですが、

 

 

この時は年末年始に色々あり、

今までの自分が嫌で、

自分が変わりたい、

何か自らの意志で行動したい、

と思っていた時期なので、

迷うことなく行動できました。

 

 

 

こういうきっかけでもないと、

もっと安い時期に行こうとか、

休みが取りやすい時期にしようと言って、

ズルズルと時間ばかりが経過していきます。

 

 

いつか行こうという考えだと、

いつまでたっても先延ばしになり、

結局、目の前のことで精一杯になり、

行動しなくなってしまいます。

 

本当に思った時に動かなければ、

人間は行動しないのだと思います。

 

 

 

その時私はこう思いました。

 

 

「このタイミングで話を偶然に聞いたというのは、

きっと今行くのがベストということなのだ」

 

 

 

本当に急だったのですが、

マルボロ受験の話を聞いた3日後にはHISへ行き、

シンガポールへのエアーチケットを予約しました。

 

 

 

次女は両親に預け、

娘と2人で

マルボロ受験&マレーシアジョホールバルの

下見に行くことになりました 。

 

 

もしかしたら、

ジョホールバルを気に入らないかもしれない。

でも、それなら早く知っておいた方がいい。

自分の目でしっかりと確かめてこようと決心しました。

 

 

 

そして、

子供の教育を真剣に考えている人の役に立てるよう、

先陣をきって行って来よう!

こういう熱い思いで渡航しました。

 

 

 

初のマレーシア、ジョホールバル。

 

 

 

試験は心臓が喉から飛び出すくらい緊張しました。

 

 

子どもたちが遊んでいるところを

観察したり、様々な質問を投げかけたり、

持ってきた作品に対して聞いたり・・・。

 

 

もちろん英語です。

 

 

長女はしっかりと英語で答えられるのか・・・?

 

 

今まで見たことない試験方法で

大変困惑し焦りました。

 

 

 

 

しかし、

 

長女は臆せず頑張り、

 

 

 

 

見事・・・、

合格しました!!

 

 

 

 

人生初のジョホールバルで、

2月10日から6日間滞在。

 

私、

 

ジョホールバルを好きになりました。

 

 

我が家の場合、

この合格が親子留学のきっかけにはなっていますが、

 

仮に合格しなかったとしても・・・、

 

 

間違いなく留学していました。

 

 

なぜならば、

ジョホールバルを気に入ったから。

 

 

治安がいいし、

物価は安い。

人も優しい。

 

さらに気候も温暖で、

娘たちには最高の場所です。

(特に長女は、アトピーと軽度の喘息持ち・・・) 

 

 

そしてジョホールバルには・・・、

先に住んでいる仲間や友達がいます。

 

 

留学先に知り合いがいる、

これはとても心強かったです。

 

親子で思い切って留学してみようと思える

大きな理由の1つでした。 

 

 

不安がなかったといったら嘘になります。

 

でも、

あまり色々と考えても始まらない。

 

 

 

まずは行くだけ行ってみて、

もし肌に合わなかったら、

帰って来ればいいよね・・・。

 

 

こういう気持ちで留学に向けての

準備をすることにしたのです。

 

 

2012年2月後半に

親子で海外留学を決意してから、

7月28日に日本を発つまでの

私の気持ちの変化を言葉で表すと、

 

 

『不安⇒苦労⇒経験⇒自信⇒知識⇒希望』

 

こんな感じで変わっていきました。

 

 

 

2012年2月から、

まだ1年も経っていませんが、

あまりにも変化があった年、

激動の年となりました。

 

 

将来、人生を振り返っても、

一番忘れられない年だと

言い切れると思います。

 

 

多くの仲間たちがいたので安心して

『親子で海外留学』できました。

 

 

仲間がいるってほんとに心強いです。

 

 

 

明日でこのメルマガも最後になります。

 

 

私はこの2つの

 

・衝撃的な出会い

・貴重な情報

 

によって

自分の考えを変え、

実際に行動することができました。

 

 

実は、この2つは、

あなたにも実現可能なことなのです。

 

 

明日ラストは、

 

 

「あなた」が最短距離で

私、花岡めうみと

同じような立場になる方法をお伝えします。

 

 

 

 

お楽しみに!

 

海外留学を実現し、経済的自由も獲得するまでの道


メールアドレス

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。