18Dec
はじめまして。
数あるサイトの中から、私のサイトを見つけていただき有難うございます。
花岡めうみと申します。
私は、
2017年現在、9歳と8歳の娘のママで、
現在39歳です。
見た目はどこにでもいる
フツーの主婦ですが、
実は2012年の夏から
普通とは違うユニークな人生を歩んでいます。
▼ユニークな人生!?
サラリーマンの旦那を日本に残して、
子どもの将来の為、
教育の為に、
シンガポールのすぐお隣の
マレーシアの最南端、
ジョホールバルへ
『親子で海外留学』
を実現してしまったのです。
さらに!
自分で言うのもなんですが^^;
今マスコミでも話題の
英国の超難関校『マルボロカレッジ』に
長女が見事合格しました!
2012年8月末から
通い始めました。
右も左も分からない、
1年前まではごくごく普通の主婦だった私自身も、
海外に出たことで、
人生が180度変わりました。
2人のまだ手のかかる娘たちを育てながら、
現地で会社を設立し、社長に就任!
今まで生きてきた中で
一番充実した日々を過ごしています。
ただ、私の人生は
決して順調なものとはいえないです。
2011年 年末の、
楽して稼ごうという私の甘い考えから勃発した、
精神的にも追いつめられた大事件。
この時は、かなり精神的に辛く
自分を責め、精神的におかしくなりそうでした。
でも、これがターニングポイントとなり、
私は変わりました。
この事件で悔しくて二度とこんなことにならないぞと
心を入れ替え、行動を起こし、
このように人生が変わった期間はなんと
わずか6ヶ月!
具体的に
フツーの私が
どう変わったかと言うと・・・
現地で会社を設立し起業しました。
しかしここまで来るのに
本当にめちゃくちゃ苦労をしています。
一番のありえない事件は、
先ほど少し触れましたが、
2011年の大事件です。
詳しくは後ほど書きますが、
簡単に言うと
軽い気持ちで手を出してしまったことで
色々なことに巻き込まれ、
精神的に追い詰められ、
家族を巻き込み、離婚危機も何度も訪れ、
自宅に住めなくなり、
最終的には、弁護士を雇って
解決することにまでなってしまったのです(T_T)
私の人生ははっきり言って、
かなりの波瀾万丈です。
社長になるまで
もちろん、なってからも
ほんとうに様々なことがあり、
それを1つずつ乗り越えてきました。
今でも日々ドラマの連続で
大変なことも多いですが、
現在は、
東南アジアの
穏やかな気候のなかで、
大変充実した日々を送っています。
ママでありながら、
毎日の家事の負担から解放され、
ストレスなしで、
フルタイムで働くことが出来る環境に
身を置くことが出来ています。
子どもの留学をきっかけに、
私も何かをしようと思い、
同じように親子(母子)留学をする方のお手伝いをする
ビジネスを始めたのです!
普通と言う言葉がぴったりだった私が、
手に入れた夢の『海外プチセレブ』
を実現させるまでの道のり。
これを何回かに分けてお話していきます。
まずは、今の生活になるまでの
波瀾万丈な人生のお話を
時代にそってお話していきます。
▼幼稚園時代
3月生まれという事もありのんびりしていた。
でもすごく人懐っこくて活発な女の子だった。
幼稚園の頃から近所のお友達のおうちに遊びに行ったり、
ご飯を食べにいったり、
図々しく泊まったりといった感じで、かなり活発に動いていた。
▼小学校時代
しかし、小学校2年生の時に
広島から東京に転勤になったとき、
今でも思い出すと
心が痛むいじめに何度かあう。
【いじめ その1】
広島なまりの言葉だったため、
「それって日本語?何言ってるかわからない」
みたいなことを上級生の女の子に言われてしまったのだ。
転勤族だから、いつも居場所がない感じだった・・・。
【いじめ その2】
仲良くしていたと思っていた友達から
次の日、いきなり無視された・・・。
この頃はいじめたりいじめられたり
と言った感じで自分も悪いのだが。
【いじめ その3】
極めつけが小学校5年生のとき。
今でも思い出すと胸が痛い。
原因は分からないが、
クラスの半分以上の女子から
「むし(無視)がとんでる」というのを合い言葉に
無視された事もあった。
悔しくて泣きながら帰宅した事も多々ある。
でも親には迷惑を掛けたくなかったのと、
なんだか恥ずかしくて、言えず、
学校でも居場所がなく、
本当に学校に行くのが辛かった。
唯一、他のクラスの友達で仲の良い子がいたので、
放課後はその子達と遊ぶ事が出来たので救われていた。
辛かったが、しばらく耐えていたらいつの間にか、
無視していた子達に
「今までごめんね」といわれ、解決したのであった。
でもこのときの記憶は、今でも思い出すと辛い・・・。
この頃の私は、自分というものがなく、周りに流されていた。
相手にあわせて一緒にいじめたりしたこともあり、
本当に今でも考えると最低な性格だった。
流されやすく自分がなく、
人の悪口ばかりを言っていた気がする。
みんなと一緒じゃなければいけないと思い込んでいたところもあった。
すぐに真似ばかりしていたし・・・。
こんな性格嫌だなと思いながらも
どうしていいか分からず、
そして、
過去のいじめられた経験があるから、
もういじめられたくないという思いが強く、
とにかく周りの顔色ばかり伺うようになってしまった。
さらに最低なことに、
過去にいじめられた経験があるから、
いじめられる辛さは分かっているはずなのに、
いじめ返したりもしていた。
思い返すだけでも最低最悪・・・。
ただ、この時にかなりいじめられたので
いじめられる人の気持ちがわかるようになったし、
人の悪口を言うと自分に返ってくるのも身を持って経験したので、
中学時代からは、一切いじめなくなったし、
人の悪口も極力言わないように心がけた。
▼中学時代
中1になったとき、父親の仕事の関係で、香川県に転校。
過去に転校したときにいじめられた事があるので、
とにかく自分を殺して相手に合わせて目立たないようにしていた。
人と違ってはいけない、
目立ってはいけない
という気持ちばかりが先走っていた。
さすがにいじめたりいじめられたりはなかったが、
今度の悩みは、自分の馬鹿さ加減・・・。
東京にいるときに勉強をしなさすぎで、
教育熱心な香川に行ってから、
あまりの成績の悪さに自信喪失(;_;)
転校先の中学は、
マンモス校で1学年400名近くいた。
中1の2学期に転校し、
夏休み明けの模試で
なんとまさかの411人中398位(T_T)・・・。
もともと勉強は得意じゃなかったが、
かなりの成績の悪さに
楽天的な私もさすがにへこんだ・・・。
2学期入ってすぐに3者面談があり、
成績が悪い事を指摘された。
「もっと勉強頑張りましょう」と・・・。
トホホ・・・。
この学校は公立なのにみんな勉強熱心で、
いわゆる不良と呼ばれる生徒もおらず、成績が悪いと馬鹿にされる感があった。
東京のときは勉強ばかりしていたら、
ガリ勉みたいなイメージで、
周りもそんなに勉強する子はいなかったが、
香川は、勉強も部活も頑張るみたいな感じ。
特に私のクラスは成績優秀な子が多いクラスだったので、
成績が悪いとかなり肩身が狭い。。。
成績が悪かったから、すごく肩身が狭く、
周りからも東京から来た馬鹿な子みたいな目で見られていたので、辛かった。。。
この頃から、とにかくまじめに勉強しようと思ったのであった。
いずれにしても周りに流されやすい性格だったのは否めない・・・。
▼高校受験
中学時代は、香川にいたので、
地方は、通常、公立を目指す。
公立が落ちた場合、私立に行くのが普通。
香川の生活が楽しく、
高校も香川の公立高校に通いたいと思っていたので、
その為の勉強をしていたのだが、どうやら高校在学中に間違いなく父が転勤になるとの話。。。
だったら、東京に持ち家もあるので、
東京の学校を受験し、私の高校入学とともに、
先に母と私、弟の母子で行った方がいいのではという話になり、
中三の夏、急遽、東京の私立高校を狙う事に。。。
公立と私立の勉強方法は違うので、
塾のコースを増やし、夏期講習+夏合宿にも参加。
夏合宿は、高松から長野の合宿所へ駆けつけた。
そこには、全国から集まった優秀な生徒がたくさんいた。
毎日缶詰状態で勉強をし、
テストを受けるのだが、自分はいつも下から数える方が早い状態。
本当に成績が悪すぎたのだ。。。
かなり自信を失った。上には上がいるなと。。。
合宿で刺激を受け、夏休み後、
香川の塾だと公立の受験の為のないようになるからという事で、
親が、気を利かせ、東京の私立受験の対策の為に、
東京の私立に通っていたという医学生の家庭教師もつけた。
結構勉強したと思うのだが、
自分の頭と目指しているところのレベルがあまりにもかけ離れていた。
でも、英語は唯一成績が良かったので、
英語でカバーしようと頑張っていたのだが、数学があまりにも出来ず、苦戦・・・。
公立高校の受験勉強と私立高校の受験勉強はやり方があまりにも違い、
そのときの私にとっては、かなりきつかった。
正直、
そこまで自分自身、勉強が身に入らず、
結局、受けたところは全て不合格。
▼高校入学
不服にも自分の偏差値よりもかなり低い高校に行く事になったのだ。
その高校があまりにも自分のカラーと合わず、
入学式出席後、高校行きたくないと、母の前で泣きじゃくったのである。
なぜ合わなかったのかというと、
田舎の真面目な不良もいない中学校から
突然都会のどまんなかにある
かなり派手な生徒の多い学校に行ったから。
先輩たちは、
パーマやピアスをしていて、
お化粧をうっすらしている生徒もいた。
これに大変衝撃を受けた!
さらにみんなフレンドリーに
話している。
私はこの頃、
超人見知りだったので、
この環境に入っていけず、
友だちをつくるタイミングも
出遅れたのだ。
だから、高校に行きたくないと、
辞めたいと
母に訴えたのである。
その当時は、嫌なことがあるとすぐ逃げようとしていた。
親もさすがに中卒というのは
まずいと思い、
なんとかなだめた。
「最初はビックリかもしれないけど、
すぐに慣れるよ!」
母)「あまりにも合わないなら、
ちょうど高校で交換留学をやっているから、
それを受けてみたら!?」
と言ってきたのだ。
私は、高校を辞めたいばかりに
英語も好きだったし、
そういう人生もありかなと
留学を本気で考えるようになったのである。
高校1年のときである。
これが今振り返ると大きな
まず第一歩の大きな転機かもしれない。
つづく・・・。
*続きはプロフィールその2へ
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