menu

親子で人生を楽しむ為の海外移住ガイド

めうみプロフィール その7

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

めうみプロフィール その6からの続きです。

▼大学3年から就活スタート

私の新卒の時期の就職は氷河期と言われ、

募集人数が例年に比べて極端に少なかったり、

その年は募集しないというところも多く、非常に厳しかった。

私は現役の人より、実際2年遅れていた形になっている

(1浪+仮面浪人していたから)こともあり、

この就職氷河期に対して非常に危機感を感じていたのでかなり早くから就職活動をスタートさせた。

(大学3年の10月くらいからセミナーに参加しはじめていた)

images-1

帰国子女の多い学部にいたこともあり、外資系を中心に受けていた。

その当時は外資系がバブルですごく待遇もよかったので。

会社説明会は、一流ホテルで飲み物・食べ物つき 😛 

外資系の某大手証券会社でインターン制度もやっていたので、そこで働いたりもした。

これは本格的に就職活動をする前に経験できたので、非常にありがたい機会だった。

インターンシップで、実際に外国人の人との働く環境を体験できたことは、本当に良かった。

ただ、外資系と思って色々受けていたが、

私が受けていたのは、外資系金融のバックオフィスやミドルオフィス

(フロントは学歴でまず無理だった・・・。フロントはいわゆる東大・京大みたいな大学じゃないと書類で落とされる・・・ 😯 )

いわゆる事務職だったので、事務は性格的に向いていないかなと思い^^;

色々な方に相談したり、自分でも考えた結果、

今は新卒なのだから、新卒のときしか入れない日本の大手企業をまずは狙おうと思うようになり、

片っ端から知っている会社にエントリーした(面接の練習も兼ねて)

この頃はまだまだ世間を知らないし、若かったので、

ブランド志向が強く、正直、給料のいい会社、名前の知れてる会社ばかりにこだわっていた。

仕事内容は全然考えていなかった^^;

業種も金融系を中心に色々受けた。

しかし、氷河期ということもあり、リーディングカンパニーからはなかなか内定をいただけなかった・・・(T_T)

面接すら呼ばれない会社もあった(T_T)

ただ、必死だったので、根性でなんとか大学4年の4月には、就職が決まった!!

総合職で某財閥系の会社に

最終的には、私の能力を非常にかってくれたという点で決めた。

仕事内容は学生だったので正直わからないしそこまで気にしていなかった。

でもやはり非常に就職難だなと。

蓋を開けてみると、同期の総合職女性は京大卒の一人のみ

余談だが、彼女は当然ながら、頭がすこぶるいい!

入社後、私たちは、受けないとならない資格試験がたくさんあって、

半年研修があったのだが、研修中に模擬試験の点数がすべて公開され、

試験の苦手な私は、恥ずかしい点数を取ることもあり、

彼女は当然満点とかなので、比べられている感じがして、辛かったなぁ^^;

まぁそれも今となってはいい思い出だが。

 

▼新社会人時代

私の英語力をかってくれ、

バリキャリを夢見て大手財閥系の会社に総合職として入社!

したものの・・・

なかなか人生思い通りにはいかない・・・(T_T)

人事担当者)入社したら、バリバリ海外勤務だね!

なんて言われていたのだが、

まずは、半年間の営業研修。

軍隊みたいで、過酷で同期が20名近く辞めていった・・・。

大手財閥系の会社で、特に人材教育に力を入れていた会社だったので、

社会人としてのマナーも知らない私にとっては、非常にありがたかった。

帰国子女の多い学部だったこともあり、大学時代、全然上下関係とかもない環境にぬくぬくいた私にとって、

社会人生活は、社会人としてのマナー等を知るいい機会になった。

先輩後輩関係や、目上の方との接し方など改めて教わることも多く、

最初は大変だったがこの時の経験・体験が後の私の人生に非常に役立っている。

研修時代には、同期120人の前で3分間スピーチをしたり、大きな声で話す練習もした。

これも本当に嫌だったが、おかげで度胸がついた。

さらに、新人時代、飛び込みピンポン営業もした。

あとは、日本の地方都市に出張でいって、色々な会社の方に営業をしたりも!

断られるのが当たり前なので、何度もつらい思いをしている。
 
でもこのお陰で精神的にかなり強くなった!
 
半年間の研修後、業績管理部所属になったので、
そこで相当エクセルの知識はついた。

配属したばかりの時は、
全くエクセルがわからず、マニュアルを片手に
必死で勉強をした。

人間、その気になればなんとかなるのだということを身をもって体験した。

今思えば、
お給料をいただきながら、パソコンスキルを身につけることができたので
 
ラッキーだった!
 
その後、プレゼンなどをする機会もあったので、
ひと通りパワポのスキルも仕事をしながら身につけることができた。

もちろんプロの人に言わせたらまだまだだが、

全く知らない状態では無かったので、今セミナー資料などを作るときにすごく役に立っている。
 

というように、
今までの経験がすべて今の仕事につながっているのだ。

 

私は、総合職だったので、基本なんでもやった。

更に転勤もあったので、東京から名古屋や静岡にも転勤でいった。

そこでは、新人に教育をしたり、朝礼で話もした。

その時に、さらに多くの人前で話すスキルを身につけることができた。
 
正直言って、毎朝の朝礼で話すのは、本当に苦手で、
 
やりたくなかったのだが、仕事なので、やらざるをえなかった。
 
その時は、嫌で嫌で仕方なかった。
 
しかし、

これらの経験が、今すごく役に立っているのだ。

 
ピンポン営業で断られることが多かったので、おかげで精神的にも強くなった。
断りにも動じなくなった。
 
静岡では、仕事で車にも乗っていた。
 
ずっとペーパーだったので、もちろん、最初は怖かったが、乗れば何とかなり、
今は、異国の地でも運転できている。
 

過去を振り返ると、
その時その時の経験は、意味があり、後の財産になっている

過去を振り返ると、すべて未来につながっていて、

無駄なことはひとつもない。

何かしらの役に立っているのだ。

若い時に苦労はするものだと思う。
 
精神的にも鍛えられ、
年をとってからもっと大変なことが起こっても
なんとか乗り越えられる力が備わっているだろう。
 
すごく大変な状況でもこれがきっといつかどこかで役に立つ。

こういう経験を経て、

 
辛いことでもそれが自分を成長させて
もっと素敵な未来が待っていると思うと
逃げ出したくなるくらい大変なことがあっても
踏ん張れるようになった。
 
だから、

今非常に辛い思いをしている方、逃げ出したいと思っている方、

一度深呼吸をして、またその状況を見つめなおしてみて欲しい。

もう少し頑張れると思う。

きっと将来の財産になるから。

無駄なことは何一つない。

 
海外留学を実現し、経済的自由も獲得するまでの道


メールアドレス

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。